尾高忠明さん&大阪フィルによる演奏会(エルガーの≪ゲロンティアスの夢≫)の第2日目を聴いて

今日は、尾高忠明さん&大阪フィルによる演奏会を聴いてきました。
演目は、エルガーの≪ゲロンティアスの夢≫。独唱陣は、下記の通りでありました。
メゾ・ソプラノ:マリー=ヘンリエッテ・ラインホルト
テノール:マクシミリアン・シュミット
バリトン:大山大輔さん

あまり演奏されることのない≪ゲロンティアスの夢≫を、エルガーを得意とされている尾高さんが振る。とても貴重な機会となる演奏会でありました。
ここ2年間、ベートーヴェンの≪ミサ・ソレムニス≫、ヴェルディの≪レクイエム≫と、宗教曲を積極的に採り上げている尾高さん&大阪フィルのコンビ。ヴェルディでは大きな感銘を与えてくれる演奏を聞かせてくれ、それだけに期待を抱きながら聴きに行ったベートーヴェンでしたが、そちらでは肩透かしを喰らった格好になってしまっています。
今回のエルガーのオラトリオでは、どのような演奏を繰り広げてくれることでしょうか。なんとも興味深い演奏会でもありました。

それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて書いてゆくことに致します。


大阪フェスティバルホールの北、堂島川沿いの道に面している側の桜。
随分と葉っぱが目立っていますが、まだ僅かに花が残っていました。

端正な演奏でありました。尾高さんは、リリシストだと見做していますが、本日の演奏も、抒情性に優ったものだったと思えました。それと同時に、清澄な演奏ぶりだった。静的な演奏でもあった。
その分、あまり劇的ではありませんでした。逞しい生命力が迸っていたり、躍動感を湛えていたり、といった演奏でもなかった。なるほど、作品自体が高潮し、ドラマティックな色合いを湛えていくと、演奏も一時的に躍動してゆき、輝かしい光が放たれてゆく。そのような場面も、一つや二つではありませんでした。しかしながら、それが長続きしない。何と言いましょうか、音楽があっという間に萎んでゆくような印象を受けたのでした。
このことは、何も、常に過剰に賑やかに、或いは勇ましく、音楽を奏で上げて欲しいと言っている訳ではありません。抒情性を押し出しながら、静的に奏で上げてゆくことも重要なことであります。但し、そこには緊張の糸が張り詰めていたり、シッカリとした鼓動を蔵していたり、といったものがあった上でのこと。そこへゆくと、本日の尾高さんによる演奏は、弛緩したものだったと言えるのではなかろうか。私は、そのように感じられてなりませんでした。音楽が生き生きとした表情を湛えていなかった。息遣いが豊かだったとも思えなかった。音楽が底光りする、といった印象を受けることもなかった。
更に言えば、交通整理に徹した演奏だったとも思えたものでした。それ故に、生命力の迸りが今一つだったのでしょう。
なるほど、音楽が破綻するようなことはなく、仕上がりの美しさを湛えたものとなっていました。それはそれで、とても尊いことであります。しかしながら、それ以上の何物でもなかった。そんなふうに言いたくなる演奏でした。
そのようなこともありまして、強い感銘を受けるに至らなかった。
歌手陣では、主人公のゲロンティアスに扮したテノールのシュミットが素晴らしかった。リリカルでいて、輝かしさを備えた声と歌唱を繰り広げてくれていました。
柔らかさを基調としながら、必要に応じて強靭な歌を披露してくれていた。その歌いぶりは、誠に柔軟なものでありました。そのようなこともあって、ゲロンティアスの苦悶や、葛藤や、心の安寧や、といった心情が、細やかに描き上げられていたと思えます。
本日の私にとっての一番の収穫が、シュミットの歌でありました。
メゾ・ソプラノのラインホルトは、基本的には清澄な歌いぶりだったと思えた。その一方で、必要に応じて、ドラマティックな歌い口も見せてくれていました。とは言いつつも、総じて、押し出しの弱い歌だったように思えたものでした。
バリトンの大山さんは、艷やかな声をしていて、なつ、朗々な歌いぶりでありました。そのような点で言えば、誠にバリトンらしい歌唱でありました。但し、こちらも今一つ、押し出しの強さに不足していたように思えました。何と言いましょうか、もう少し自己主張のようなものがあっても良かったのでは、と。とても整った歌いぶりでしたので、その点が惜しかった。
もっとも、バリトンパートは出番が少ないので、そのような印象になってしまった、という側面もありましょう。ちょっと、損をしてしまっていたようにも思えます。

諸々書いてきましたが、不完全燃焼といったところで、足取り重く会場を後にした演奏会になってしまいました。
(もっとも、これまでに接してきた尾高さんによる演奏体験からすると、このような結果に終わることは、想定の範囲内ではありました。それは、幾つかの想定の中の、悪い方の想定だったのですが。)
そのような気分でホールから堂島川沿いに大江橋のほうへ歩いてゆくと、川沿いの桜が綺麗に咲いていました。その桜を観て、若干ではありますが気分が晴れたものでした。