モーツァルトの誕生日にクナッパーツブッシュ&ウィーン・フィルによる≪ジュピター≫を聴いて

今日は、モーツァルトの誕生日。この日には≪ジュピター≫を聴くようにしています。そこで今年は、クナッパーツブッシュ&ウィーン・フィルによる演奏(1941年11月録音)を聴いてみました。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリー)に収蔵されている音盤での鑑賞になります。

クナッパーツブッシュ(1888-1965)が53歳の時の演奏でありますが、晩年の演奏のように、悠然と音楽を進めてゆく、といったものにはなっていません。物々しさが感じられる、といったこともない。むしろ、第1楽章などは、キビキビとした演奏ぶりとなっている。しなやかさが感じられもする。
なるほど、第2楽章では遅めのテンポが採られていて、そのためにジックリとした歌が披露されている。しかしながら、重たいといった印象を抱くことはありません。とてもロマンティックであり、優美な演奏になっていると言いたい。いや、艶美だと言ったほうが、より相応しいでしょう。しかも、音楽のフォルムが崩れる、といったことが微塵も感じられないのが、さすがはクナッパーツブッシュだと言えそう。
第3楽章は、堂々とした演奏ぶりとなっています。それでいて、覇気が漲っている。骨格のシッカリとした演奏ぶりの中にも、健やかにして生き生きとした音楽が聞こえてくることとなっている。
そのような先に最終楽章がやって来るのですが、なんとも凄まじい演奏となっている。先にも書きましたように、決して物々しい演奏が繰り広げられている訳ではありません。とは言いながらも、逞しい生命力に溢れていて、壮麗な音楽が鳴り響いている。ここにあるのは、まさしく音楽による大伽藍。その様がまた、この楽章には誠に相応しい。

≪ジュピター≫の素晴らしさを痛感することのできる、偉大な演奏。そんなふうに言えるのではないでしょうか。

なお、録音状態は劣悪なものであります。音の抜けが悪く、とても貧しい音質となっている。しかしながら、聴き始めて2分くらい経つと、音質の悪さが全く気にならなくなった私。
このような偉大な演奏は、録音状態の悪さを簡単に飛び越えてしまうものであります。