大友直人さん&京都市交響楽団による第九演奏会(第2日目)を聴いて

今日は、京響の第九演奏会の第2日目を聴いてきました。
今年の指揮者は、2001年-08年にかけて京響の常任指揮者を務め、現在は桂冠指揮者のポストに就いている大友直人さん。独唱陣には、下記の4人が並んでいました。
ソプラノ:小林沙羅さん
メゾ・ソプラノ:鳥木弥生さん
テノール:西村悟さん
バス:大西宇宙さん

2020年に京都に引越して以降、大友さんの実演に接するのは、これが4回目になります。
過去の3回のいずれにおいても、音楽を手堅く纏めて、更には、折り目が正しくて清潔感を漂わせながらも、充分なる生命力の宿っている演奏を繰り広げてくれて、深い感銘を与えてくれた大友さん。その中でも特に、大阪フィルとのオール・ベートーヴェン(上原彩子さんとのピアノ協奏曲第3番と、≪英雄≫というプログラム)では、作品の実像と呼べるようなものが確固とした姿で屹立していたと言えそうな素晴らしい演奏でありました。
それだけに、本日の第九も、聴き応えの十分で魅力的な演奏になるであろうと、大いに期待を寄せながら会場に向かったものでした。

ホール前の池では、イルミネーションが輝いていました

実際に聴いてみますと、想像していた路線での演奏ぶりありつつ、期待を超えてくれた、素敵な演奏でありました。
これっぽっちもケレン味のなかった演奏。一言で言えば、そういう表現になるでしょう。実に真摯であり、かつ、自然な息遣いに溢れた演奏でありました。紳士的でもあった。もったいぶっていたり、変に力み返ったり、といったことも皆無。折り目が正しくて、清潔感が漂っていて、スッキリとしたフォルムで統一された第九だったとも言いたい。
(最終楽章のトルコマーチに入る直前のフェルマータが随分と長めだったということのみが、少々もったいを付けた感じになっていましたが、嫌みは全く無し。その他の箇所で、素直でストレートな演奏を繰り広げてくれていたことによって、「これでもか」といった猥雑な感じにならずに、嫌みに繋がらなかったのでしょう。)
大袈裟な表情を見せるようなことは微塵もなく、かつ、オーソドックスを極めた音楽づくりでありつつも、面白みがなかったかと言えば、全くそのようなことはありません。十分に逞しさの備わっている音楽が鳴り響いていました。作品が持っている鼓動や息遣いが、シッカリと伝わってくる演奏でもあった。要は、やるべきことをやり尽くしてくれていた演奏。そんなふうに言いたい。そのうえで、クライマックスでも過剰にお祭り騒ぎにならない範囲で、推進力の豊かな音楽が提示されていて、高揚感にも不足はなく、聴後の充実感は充分。
更に言えば、第1楽章では、凛としていて、柔らかみのある音楽が鳴り響いていながら、緊張感にも不足はなかった。
第3楽章も、決してダレるようなことはなく、淀みなく音楽が流れていて、かつ、歌謡性も十分だった。清潔感という面で言えば、この楽章での演奏ぶりが最も高かったように思えたものでした。
唯一、第2楽章のトリオの箇所が、しなやかさに欠けていたように思えたのが残念でありましたが、それはほんの些細なことだったと言えましょう。

そのような大友さんの音楽づくりに対して、独唱陣もまた、率直で献身的な歌を披露してくれていました。とりわけ、バスの大西さんが存在感抜群。
バスが先頭を切って歌い始める訳ですが、その重責を十分に果たし、しかも、そのような面を上回るだけの「惹き付ける」力強さに満ちていました。興味深かったのが、sondernをゾンデルンではなくソンデルンと濁らずに発音していたように聞こえたこと。そうであればウィーン風の発音を踏襲していた訳であり、それがまた、大友さんの音楽づくりに適しているようにも思えたものでした。

それにしましても、大友さん、音楽センス抜群の素晴らしい指揮者だということを再認識させられました。そして、そんな大友さんの魅力がぎっしりと詰まっていた、聴き応え十分で、清々しさを感じられた、頗る素敵な第九でありました。