松本宗利音さん&大阪フィルによる演奏会(11/29開催)を聴いて

今日は、大阪のザ・シンフォニーホールで、大阪フィルの演奏会を聴いてきました。指揮者は、松本宗利音(しゅうりひと)さん。
演目は、下記の3曲でありました。
●ブラームス ≪大学祝典序曲≫
●ブルッフ ヴァイオリン協奏曲第1番(独奏:川久保賜紀さん)
●ドヴォルザーク 交響曲第8番

この演奏会を聴きに来ようと欲した一番の理由は、指揮者の名前にあります。「しゅうりひと」と名前を持つ若手の日本人指揮者が出てきたという情報は掴んでいました。その「しゅうりひと」さんが、身近なところで演奏会を開くとなれば、これは是非とも聴きに行こうという思いで、チケットを取ったのでありました。
ちなみに松本宗利音さん、ちょうど1週間前の11/22に30歳の誕生日を迎えたばかりのようです。
なお、「しゅうりひと」という名前は、カール・シューリヒトの夫人が名付けたとのこと。ということは、松本さんのご家族とシューリヒト夫人との間に親交があったということになります。それも凄いことですよね。
演目は、頗るオーソドックスなものとなっています。それだけに、この指揮者の実力のようなものが、つぶさに感じ取ることができるのではないだろうか、と睨んでいて、それがまた、興味をそそられます。
それに加えて、川久保さんの独奏も楽しみ。
昨年の3月にインキネン&PACオケと共演した際のシベリウスのヴァイオリン協奏曲が私には不満の多い演奏だっただけに、本日はそれを挽回してくれるような演奏を繰り広げてもらいたいものだと期待を懸けながら、会場に向かったものでした。

それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのか、綴ってゆくことに致しましょう。まずは前半の2曲から。
正直言いまして、両曲ともに期待外れな演奏でした。特にブルッフが。
≪大学祝典序曲≫を聴いた限りでは、松本さん、呼吸の浅い音楽づくりを指向している指揮者のように思えたものでした。アインザッツが浅いことが多い。それゆえに、音楽が豊かに息づかない。さらっと流れる感じ。
と言いつつも、曲が進むにつれて、躍動感が出てきた。コーダでは、一定の高揚感が築かれてもいた。それは、流麗さを伴った高揚感とでも言えそうなものだった。その演奏ぶりに、ちょっと希望が持てた、といった感じでありました。
一方のブルッフでは川久保さんの演奏ぶりに、奔放さが全く感じられなかった。この曲では、ロマン派音楽ならではの熟した音楽世界を描き上げて欲しいのですが、そのような性格が希薄でありました。音楽を煽るような要素も、殆ど感じられなかった。むしろ、のっぺりとした感じ。
出だしからして、極度に弱音を重視した音楽づくりをされていた。そして、冒頭部分に限らずに、その方向性が全曲を通じて貫かれていた。
その結果として、繊細で、儚さの漂う演奏が繰り広げられることとなった。なるほど、その方向で性格を掘り下げるのも一つの行き方かもしれません。しかしながら、音楽がとても「ひ弱な」ものになっていたように思えて仕方がありませんでした。更に言えば、ピンと張り詰めた緊張感のようなものも希薄で、音楽に凝縮度を与え切るまでに至っていなかった。
聴いていて欲求不満に陥るブルッフでありました。
松本さんのバックアップは、ソツのないものだったと言えそう。川久保さんは、随所でテンポの収縮を図っていましたが(と言いましても、常套的な範囲での収縮が多かった)、その独奏によく付けてもいた。勘所を押さえた演奏ぶりだったとも言いたい。

ということで、気落ちしながら休憩時間を過ごしたのですが、メインのドヴォルザークで、前半の不満は吹き飛ばされました。
なんとも素晴らしいドヴォルザークの8番でありました。≪大学祝典序曲≫とは比べ物にならないくらいに雄弁だった。音楽の鼓動が生き生きとしてもいた。
≪大学祝典序曲≫も、中盤以降は聴き応えがあったのですが、ドヴォルザークは、それを上回っていました。メインゆえに、リハーサルをみっちりと積んで、松本さんのやりたいことを徹底することができたのかもしれません。
それにしましても、ケレン味のない、率直な演奏でありました。潔さが感じられもした。先週末、上岡さんによる「毒気」の強い指揮の元で演奏していた大阪フィルのメンバーも、今日は、清々しく演奏できたのではないでしょうか。
松本さんの指揮ぶりは、ときにアインザッツの浅さが感じられます。≪大学祝典序曲≫の前半では、そこに不満を覚えたものでした。しかしながら、ドヴォルザークの8番では、そのことが変な粘り気を生まないことに繋がり、演奏に清新な印象を与えることとなっていたように思えた。なるほど、サラサラとした感じになるのですが、流れはスムーズ。淀みがない。
と言いましても、それは「ときに」であります。大半において、的確な範囲でアゴーギクを効かせ、彫りの深い演奏を繰り広げていた。そこに、生命力の逞しさが与えられてもいた。3つの急速楽章の終結部では、果敢なまでに音楽を煽ってもいた。それゆえに、高揚感が高くて、感興の豊かな音楽が鳴り響くこととなっていた。
しかも、これらの表情が、全く作為的なものとなっていなかった。頗る自然であり、必然性の感じられる音楽づくりだったと言いたい。松本さん、屈託のない性格をされているのでしょう。そのようなことを感じさせられる、のびのびとした演奏ぶりが示されていました。
ときに、「この音型を、もっと浮かび上がらせて欲しい」という箇所もありました。例えば、第1楽章の展開部の最後の箇所、トランペットが朗々と旋律を奏でる場面での224小節目と229小節目で合いの手を入れるチェロ・バスや、最終楽章でヴァイオリンとヴィオラが掛け合いをする箇所(178小節目から)でのヴィオラの動きなど。かように、チェロ・バスの動きや、ヴィオラの動きに、この点が感じられることが多かった。
しかしながら、概ね、立体感にも不足がなかった。(それゆえに、彫りの深さが感じられた。)そんなこんなも含めて、松本さんの音楽性の豊かさが滲み出ていたドヴォルザークの8番だったと思えました。

これから先が楽しみな指揮者が、一人増えました。
松本さんは、大阪府豊中市の生まれで、プログラム冊子に掲載されているプロフィールを見ますと、センチュリー・ユース・オーケストラに所属していたようです。そして、プレトークでは、10年ほどの暮らしていた東京を離れて、最近、大阪に引越してきたと披露されていました。ご本人は、本日の演奏会を「凱旋演奏会のようだ」と、はにかみながら表現されてもいた。
関西圏で、今後、松本さんを聴く機会が増えるかもしれません。そのように想像すると、心が踊ります。