沖澤のどかさん&京都市交響楽団による定期演奏会を聴いて

2023年9月24日

今日は、沖澤のどかさん&京都市交響楽団の定期演奏会を聴いてきました。演目は、下記の2曲。
●ベートーヴェン 交響曲第4番
●コネソン ≪コスミック・トリロジー≫(日本初演)

今シーズンから京響の常任指揮者のポストに就いた沖澤さんが登場しての定演。今年の4月の演奏会に次いで、これが就任後2つ目の演奏会になります。
半年前の就任披露演奏会では、メンデルスゾーンとブラームスというドイツ音楽の正統的な作品を連ねて打って出た沖澤さんでしたが、私には不満の残る演奏会となりました。かなり几帳面な音楽づくりであるなという印象が強く、そのこと自体は決して否定的なことではないものの、音楽における「逞しさ」があまり感じられず、緊張感にも乏しく思えたのが残念だったのでした。
本日は、ベートーヴェンの交響曲という「王道」を行く音楽と、1970年にフランスで生まれた作曲家による日本初演の作品を組み合わせた、意欲的なプログラム。
どのような音楽に巡り会うことができるだろうかと、期待に胸を膨らませながら会場へ向かいました。
なお、ここからは沖澤によるプレトークで紹介された話になります。
コネソンの≪コスミック・トリロジー≫は、沖澤さんが若い頃に参加した現代音楽の集まりで出会った作品だとのこと。沖澤さん、現代音楽は苦手だったとのことですが、この作品に魅了され、いつか演奏したいという衝動に駆られたようです。しかしながら、演奏するのが難しいため、客演ではオケがOKを出さない。そこで、京響のポストに就いたことを機に、満を持して採り上げたようです。

それでは、演奏から感じられてことについて書いてゆくことにいたしましょう。まずは、前半のベートーヴェンから。
今一つ、心に響かない演奏でありました。それは、沖澤さんが、本当にこの曲を愛しているのかどうかが、よく理解できなかったからだと思えます。私には、なんだか、事務的な演奏に聞こえたものでした。
音楽をスリムに奏で上げようと意図は、よく理解できました。弦楽器のプルトの数は6-5-4-3-2と小ぶり。そのこともあって、引き締まった響きでありました。ティンパニは硬めのバチを使っていて、衝撃的な活用が随所に現れていたのも、その延長線上の表現だと言えましょう。
しかしながら、響きという面では、私には低音の厚みが足りないように思えた。どっしりと構えた安定感といったようなものが、希薄に思えた。コントラバスは、もう少し人数を増やして欲しいところでありました。
引き締まった音楽になっていて、かつ、小気味よくもあった。
ところで、沖澤さんの指揮は、アインザッツがかなり小さい。それは、冒頭楽章での序奏部において甚だしかった。なにか神秘的な雰囲気を醸し出そうという意図があった(≪コスミック・トリロジー≫での説明で、その種のことを語っておられた直後だったこともあって、その印象が私の頭から離れなかったが故の推測でもあります)のかもしれませんが、団員が手探りで音を出してゆくような形だったとも言え、音楽の歩みが曖昧模糊なものになっていたように思えました。
ところが、主部に入ると一転して溌剌とした演奏に変貌。テンポは速く、音楽が驀進してゆく。それは、第3楽章や最終楽章といった他の急速楽章においても然り。
しかしながら、なんだかせわしない音楽に感じられて仕方がなかった。確かに、推進力が備わっていたものの、それが、音楽を熱狂させるようなものにはなっていなかったようにも思えた。そして、弾力性にも乏しく、硬い音楽に感じられた。その顕著な例が、最終楽章の第2主題が終わってひとしきりして、弦楽器群と第1ヴァイオリン&管楽器が交互にsfで奏で上げる箇所(66小節目からの4小節間)。鮮烈なまでのsfを付けて演奏されていたのですが、かなり硬い音楽になっていた。この辺りなど、まさに、事務的な演奏になっていたと思わずにはおれませんでした。
なお、最終楽章はかなり速いテンポが採られていて、C・クライバー&バイエルン国立管による1982年のライヴ録音と同様に、184小節目からのファゴットのソロは、綻びをきたすこととなっていました。
と、あまり共感できない演奏だったのですが、沖澤さんならではの几帳面さが好ましい形で現れていた箇所もありました。ベートーヴェンを演奏する場合は、fとffの対比を「目に見える形で」明確に施してくれることを、私は望んでいます。この曲の場合では、例えば第1楽章の169小節目からの4小節間はfであるのに対して、173小節目でffに切り替わる箇所が挙げられましょう。本日の演奏では、そのことが、はっきりとした意志をもって対比されている演奏となっていた。このようなことを積み重ねながら、作品が本来的に宿している「生命力」や「熱狂」を過不足なく放出して欲しい。そんなふうに願わずにおれません。

ベートーヴェンでは否定的なことを書いてしまいましたが、メインの≪コスミック・トリロジー≫での演奏は、大いに楽しめました。なお、こちらでの弦楽器のプルトの数は、8-7-6-5-4となっていました。
それはもう、沖澤さんのこの曲への愛着がひしひしと感じられる演奏となっていました。是非とも採り上げたかったという意欲が、演奏に迸っていた。
急・緩・急の独立した3つの部分から成る40分強の作品でありましたが、現代音楽と言いましても、かなり明快なフォルムを持っている音楽で、さして難解さを感じませんでした。とは言え、変拍子に溢れていて、響きも多彩。斬新な音楽だったのは間違いありません。
(もともとは、1997年、2005年、2007年に書かれた、3つの独立した交響詩による三部作とのこと。それでトリロジー。本日は作曲された順番で演奏されたようです。)
そのような中でも、両端の急速な曲での沖澤さんの鋭敏な演奏ぶりに感心させられました。ベートーヴェンで感じた「浅いアインザッツ」は、こちらでは皆無。キッチリキッカリと振っていて、明快な音楽づくりが為されていた。そのために、目鼻立ちのクッキリとした音楽が鳴り響いていました。≪春の祭典≫ばりの変拍子もあちこちで見受けられる。よく振り間違えないものだと感心しながら見ていましたが、その「拍子感」たるや、実に鮮やかなものでありました。バルトークの≪中国の不思議な役人≫を連想してしまうバーバリズムを感じさせられる箇所などもあり、興味深く聴くことができた。
ただ、第2部が、精妙な音楽ではあったものの、冗長な感が否めませんでした。沖澤さんの音楽づくりも、ここでは単調だったかと。
いずれにしても、好演だったと言えましょう。沖澤さん、このような作品に適性があるのではないでしょうか。

沖澤さんの京響定期への登場としましては、来年の1月にオネゲル、タイユフェール、イベール、ラヴェルという、オール・フランス物の演奏会が組まれています。本日の演奏会の内容からすると、期待の持てるプログラミングだと言えそう。
沖澤さんの演奏に接するのは、半年前の京響定期と本日との2回であり、沖澤さんの音楽づくりの「特質」のようなものが、まだ私の中に明確になっていませんが、京響での活動に注視していきたいと思います。