カーゾン&ケルテス&ロンドン響によるモーツァルトのピアノ協奏曲第23,24番を聴いて

カーゾン&ケルテス&ロンドン響によるモーツァルトのピアノ協奏曲第23,24番(1967年録音)を聴いてみました。

虚飾のない演奏が繰り広げられています。知的で端正で清冽でもある。
飛翔感や愉悦感は、やや薄いと言うべきでしょうか。地に足が着いた演奏、或いは、大人の演奏だとも言えそう。とりわけ、カーゾンの演奏ぶりに、そのことが強く当てはまる。
ここでのカーゾンは、声を荒げるようなことは一切ない。繊細かつ可憐に、しかも、慈しむように、音楽を奏で上げています。そのような演奏が、第23番の冒頭から展開されてゆく。そしてそれは、短調で書かれていて、激情的な性格を持っている第24番においても、さして変わらない。
全編を通じて、触れれば壊れてしまいそうなほどの儚さが感じられます。とても感傷的で、多感な音楽となってもいる。特に、第23番の第2楽章では、沈痛な表情が窺える。なるほど、第24番の両端楽章では、そこでの音楽に相応しく、激流の中に身を置きながらのアグレッシブな演奏となっています。しかしながら、前のめりになるようなことはない。打鍵がどんなに強くなっても、威圧的になるようなことはない。
とは言え、決して「ひ弱な」音楽ではありません。涙もろかったり、過度にセンチメンタルであったり、といった音楽になっている訳でもありません。背筋がピシッとしている、凛とした演奏が繰り広げられている。響きが硬質で、透明感のある音が紡ぎ上げられていることも、そのような印象が強くさせているのでしょう。しかも、清廉な雰囲気が漂っている。そう、実にピュアな音楽世界が広がっている。そんなこんなによって、「大人の演奏」という表現が、私の心の中に浮かんでくるのであります。
そのようなカーゾンに寄り添うように、ピュアな音楽を奏で上げてゆくケルテスもまた、素晴らしい。そして、こちらもまた、実に多感な演奏を繰り広げてくれている。しかも、第24番では、思いのほか重厚感のある音楽を奏で上げている。

心が洗われるような美しさを湛えている、素敵な演奏であります。