フルトヴェングラー&ベルリン・フィルによるR・シュトラウスの≪家庭交響曲≫を聴いて

フルトヴェングラー&ベルリン・フィルによるR・シュトラウスの≪家庭交響曲≫(1944年ライヴ)を聴いてみました。


骨太な筆致で描かれた、逞しい演奏であります。誠に情熱的でもある。そう、音楽する熱狂の度合いが、頗る高い演奏となっている。
フルトヴェングラーは、神格化されている指揮者という感じがします。多くの音楽愛好家は、フルトヴェングラーによる演奏を、厳かなものであると受け止められているように思える。しかしながら、私個人としましては、彼ほどに人間臭い演奏をした指揮者はいないと思っています。常に、自らの感情を爆発させながら、音楽への「熱い情熱」を示し続けていた指揮者。
とは言え、決して独りよがりになっていないところが、フルトヴェングラーの凄いところ。作品が持っている生命力や、更にその先にある、作品の核心や本質や(それは、音楽の本質、と言い換えても良いかもしれません)を客観的に捉えながら、そこに主観を添えてゆく。私には、そのように感じられてなりません。であるが故に、彼の演奏には、途轍もない「説得力」が備わってくる。その結果として、神々しさが現れてくる。

この≪家庭交響曲≫も、まさにそのような演奏になっていると言えましょう。
実に生々しくて、力感に富んでいて、音楽全体がうねりにうねっています。凄まじいまでに輝かしくて、壮麗でもある。それは、底光りするような輝きとも言えそう。音楽から無尽蔵と思えるほどの情熱が迸り出ていて、灼熱の熱さが感じられる。そして、R・シュトラウスならではのロマンティシズムに溢れている。
しかも、毅然としていて、神々しい。音楽への愛情や、音楽することの「責任感」のようなものが滲み出てもいる。その裏には、R・シュトラウスへの「敬愛の情」が刻み込まれているようにも思える。

なんとも見事な、そして、立派な、畏敬すべき演奏であると思います。