鈴木秀美さん&神戸市室内管による演奏会(石上真由子さんをソリストに迎えてのバルトークのヴァイオリン協奏曲第1番や、ドヴォルザークの交響曲第8番 など)を聴いて

今日は、鈴木秀美さん&神戸市室内管(略称:KCCO)による演奏会を聴いてきました。演目は、下記の3曲。
●ハイドン 交響曲第31番≪ホルン信号≫
●バルトーク ヴァイオリン協奏曲第1番(独奏:石上真由子さん)
●ドヴォルザーク 交響曲第8番

鈴木さん&KCCOのコンビが、バルトークとドヴォルザークを演奏する。とても珍しいことなのではないでしょうか。特に、バルトークというところが、意表を衝いている。しかも、ヴァイオリン協奏曲の第1番を採り上げる、という点で。バルトークのヴァイオリン協奏曲と言えば、第2番となるのが定石と言えましょう。そんな第2番の陰に隠れて、なかなか演奏されることのない第1番を聴くことができるのは、とても貴重なこと。
(鈴木さんも、プレトークでこのことに触れておられ、他のオケでの演奏経験を持つ奏者の多いKCCOの中で、この曲を演奏したことのある奏者は1人しかいなかったそう。読響のティンパニ奏者でもあった大ベテランの菅原淳さんも、これまでに演奏したことはない、との話が紹介されました。)
そのバルトークでソリストを務めるのは石上真由子さん。京都のご出身だということもあり、京都での演奏会の情報で、彼女の名前を目にすることは多いのですが、これまでに実演に接する機会を持つことはできていませんでした。本日、ようやく聴くことができる。どのような音楽を奏で上げてくれるのか、とても楽しみなところでありました。
また、鈴木さんが頻繁に採り上げるハイドンの交響曲も、これまた滅多に演奏会で採り上げられることのない≪ホルン信号≫をプログラムに載せている、という点に、鈴木さんのこだわりが感じられます。この交響曲、4本のホルンによる活気に満ちた吹奏で開始されるという、とても特徴的な作品であり、かつ、魅力的な音楽となっています。決してメジャーな存在とは言えないこの佳曲を、聴衆に紹介したい、そのような願いもあっての選曲だったのでありましょう。
そして、メインには、明朗かつ郷愁に満ちた音楽が鳴り響くこととなる、人気の高い作品だと言えそうなドヴォルザークの交響曲第8番を据えている。
このプログラミングの裏には、「中央ヨーロッパ」というキーワードが潜んでいるそうです。すなわち、ハイドンが長年仕えたエステルハージ候は現在のハンガリーに領地を所有し、バルトークはそのハンガリーの生まれ、ドヴォルザークは隣国のチェコの生まれ、という繋がりがある。そんなプログラムでの鈴木さんの音楽づくりが、どうようなものとなるのか、楽しみでありました。

なお、プレトークでは、まずもって、このオケの存続が決定したことが、鈴木さんから報告されました。
(2028年以降、神戸市からの補助金が打ち切られる、という話が持ち上がり、実施されればオケの存続が危うくなるところだったのですが、先月の中旬、収入拡大などの条件付きで補助金の継続が決定した。)
その言葉に、客席からは大きな拍手が沸き起こったものでした。

前置きは、ここまでにしましょう。
ここからは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて、書いてゆくことに致します。

まずは、前半の2曲について。
鈴木さん&KCCOのコンビにしては珍しく、厳密な対向配置が採られていませんでした。
ハイドンは、左から、第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリンの並びで、コントラバスは右手の奥。しかも、面白かったのが、チェロのすぐ横にファゴットを座らせて、チェロとコントラバスとファゴットを近くに固めていた。通奏低音を集結させていたのであります。
更には、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンは、それぞれ4人ずつ、あとのヴィオラ、チェロ、コントラバスは全て1人ずつという規模まで切り詰めていて、まさに室内楽的な響きを求めていた、といった具合。
バルトークでの並びは、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラで、コントラバスは右手の奥。つまり、現代のオケが最も好む配置となっていたのであります。バルトークなのだから、当然と言えば当然なのかもしれませんが、鈴木さん&KCCOにしては、とても珍しい。弦楽器のプルトの数は、4-4-3-2-1.5。
演奏は、何と言いましても、バルトークでの石上さんのソロが素晴らしかった。と、あらかじめ書いておきつつ、曲順通りに、ハイドンから触れてゆくことに致します。
先に書きましたように、プルトの数を切り詰めて、室内楽的な響きの透明さを求めた演奏となっていました。とりわけ、中声部と低音部が、とてもスッキリとしている。
そのようなオケを相手に、鈴木さんらしく、誠実な演奏が繰り広げられていった。ハイドンならではの、茶目っ気の効いた音楽(この交響曲は、特に、その傾向が強い)を、可憐に奏で上げてゆく。
しかしながら、聴いていて、音楽に没頭できない。と言いますのも。
この交響曲は、第1楽章では4本のホルンが主役。颯爽と、何度も何度もホルン信号を吹き鳴らしてゆきます。
KCCOでは、古典派や、初期のロマン派の作品を演奏する際には、ホルンは、バルブやロータリーの付いていないナチュラル・ホルンが使用されます。音階をはじめとして、コントローすることがとても難しい楽器。≪ホルン信号≫では、4人とも全てナチュラル・ホルンが使われていた。
そのために、音を外すことの、なんと多かったこと。とても不安定な音楽になっていた。それはもう、安心して聴くことができないほどに。
更には、緩徐楽章である第2楽章では、随所で現れるコンマスによるヴァイオリンのソロが、あまり音楽的だとは思えなかった。まずもって、音が痩せている。そして、歌わせ方が素直でなく、旋律の後半を押すような癖が散見されて、うざったい。音程も、安定していたとは言い難い。
コンマスのソロが現れると、音楽が一気に生気を失ってしまう、といった印象を強くしたものでした。
私が、音楽に没頭できなかったのは、この2つの理由から。
その一方で、チェロのソロや、コントラバスのソロ、フルートのソロなどは、とてもチャーミングだった。特に、チェロは、響きが艶やかで、歌も滑らかだった。
そうであっただけに、ナチュラル・ホルンと、コンマスによるソロが、とても悔やまれたものでした。
但し、ここでホルン奏者の名誉のために書いておきますが、バルトークとドヴォルザークでロータリー付きの楽器が使用されると、瑕疵のない、スムーズな演奏を聞かせてくれたのでありました。
さて、ここからは、いよいよバルトークについて。
石上さんによる、演奏は、第1楽章での瞑想的な演奏ぶりもさることながら、第2楽章での、変化に富んだ曲想への対応の機敏さたるや、見事なものでありました。とりわけ、舞踊的な曲想が展開される箇所では、頗る優雅な音楽づくりが為されていて、惚れ惚れしたものでした。そこでは、身体を右に左にと揺すりながら、音楽を全身で受け止めて音に変えてゆく、といった姿勢が、よく見て取れもした。
その一方で、激情的であったり強靭であったり、といった部分では、頗る逞しい音楽を掻き鳴らしてゆく。
しかも、響きがとてもふくよか。そのこともあって、バルトークによる作品であっても、あまり神経質な音楽にならない。舞踏的な性格を帯びた箇所での優雅さなども、こういった響きに依るところが大きかったのではないでしょうか。
暖色系のバルトーク。そんなふうにも言えましょう。
いずれにしましても、感受性の豊かなヴァイオリニストだな、そして、引き出しの多いヴァイオリニストだな、という思いを強く抱いたものでした。
なお、この2つ楽章から成る協奏曲は、確かに演奏機会は少なく、音盤の数もあまり多くないのですが、第1楽章は改作されて≪2つの肖像≫作品5の第1曲目として使われています。こちらは、音盤の数も比較的多く、私も、そちらの方で親しんできたものであります。
ソリストアンコールは、終演後のアンコールの紹介ボードでは、添付写真の通りに表記されていましたが、「本日の演奏会の前半2曲を回想して」といった内容でありました。すなわち、バルトークのヴァイオリン協奏曲第1番の第1楽章の(それは、≪2つの肖像≫の第1曲目、ということにもなる)旋律を主体にしながら、最後の方には≪ホルン信号≫でのホルンの動きが採り入れられていたりもした。なんとも気の利いていて、茶目っ気があって、かつ、サービス精神の旺盛なアンコールであったことでしょう。
そのような音楽を、表情タップリに弾いていった石上さん。素敵なアンコールでした。

ここからは、メインのドヴォルザークについて触れましょう。こちらも、バルトークと同じ配置で、プルトの数も同じ。
更には、ノン・ヴィブラートを解除していました。特に、出だしの、ホルンとユニゾンで旋律を奏でるチェロは、ヴィブラートをギンギンに掛けていた。また、先にも書きましたように、ホルンは、ロータリー付きの楽器を使っていた。鈴木さん&KCCO、ピリオド系のスタイルを完全に脱ぎ捨てて、演奏に当たっていた、ということになります。その分、響きに潤いが生まれていたようでもあった。
なお、これはプレトークで鈴木さんが話をされていたことなのですが、サントリーホールや、ハンブルクのエルプホールなどの音響設計を手掛けられた豊田泰久氏に、神戸文化ホールの音響の向上について相談をされると、特段、改修などを施さなくとも、オーケストラピット部もステージとして利用してその位置まで団員を配置させたり(つまり、これまでよりも、オケのメンバーが陣取る位置をステージの前方へ移動させる)、背面の反響板を外して緞帳を垂らすだけにしたり(すなわち、緞帳に寄りかかると、身体は支えられずに、そのまま後ろに後退してしまうことになる)、といった措置を採れば、響きが良くなると言われとのこと。実際にそうしてみると、響きがよくなったようです。本日のドヴォルザークで、響きに潤いが感じられたのは、ピリオド奏法を脱ぎ捨てただけでなく、こういった音響への配慮の賜物でもあったことでしょう。
(もっと大胆なことを言えば、対向配置を取りやめたのも、豊田氏とのやり取り故なのかな、などと想像を膨らませたのですが、それは、作曲者の時代に即した結果なのだ、と捉えるべきなのでしょうね。)
さて、ここからは演奏内容について。
鈴木さんらしい、ケレン味のない、誠実な演奏となっていました。
とりたてて速いテンポが採られていた、ということはなかったものの、溌剌とした音楽が奏で上げられていた。快活で、健やかさの感じられる演奏でもあった。それ故に、晴朗でもあった。そういった音楽づくりが、この作品に似つかわしい。
もっと言えば、これは、鈴木秀美さんによる演奏で、よく感じられることなのでもありますが、健気さの滲み出る音楽づくりだった。つい今しがた、「健やか」という言葉を使った際に「健気」という言葉も浮かんできて、鈴木さんの演奏に相応しいな、と思い至った次第。その分、時に、滑らかさに乏しくて、野暮ったい印象を抱くこともあるのですが、本日のドヴォルザークでは、そのようなマイナス面での印象は殆どなかった。
しかも、第1楽章の展開部などを始めとして、気宇の大きさを示すこともしばしば。熱い血潮の迸る演奏となっていた。
更には、卓越したメロディメーカーとしてのドヴォルザークの魅力も十分だった。そう、屈託なく伸びやかに、音楽が歌われていたのであります。
好演だった。そんなふうに言いたい。と言いつつも、本日のプログラムでは、バルトークでの石上さんのソロが、最も私を魅了したのでありますが。

なお、アンコールは、≪スラヴ舞曲≫のop.72-2。6日前に聴いた、ブラッハー&大フィルによる京都公演で、メインの≪新世界より≫の後で演奏されたアンコールと同じ。
6日前は、同じ≪スラヴ舞曲≫を演るのであれば、もっと元気の良いナンバーの方が指揮者の特質に適ったものになったことだろう、と、ちょっと不満を覚えたのですが、本日は、そのような思いを抱くことは全くありませんでした。
この、ノスタルジックで感傷的な雰囲気に包まれたナンバーを、速めのテンポを採りながら、音楽がダレることなく奏で上げていった鈴木さん。そのために、キリッとした表情を湛えたものとなっていた。単なる、「お涙頂戴」的な音楽からは一線を画した演奏だった。
それでいて、ノスタルジックな味わい(鈴木さんは、アンコール曲を紹介する際に「郷愁」という言葉を使われていた)にも不足はなかった。伸びやかに歌われてもいた。
これまた、素敵なアンコールでありました。

最後の添付写真は、終演後のステージ上の様子。
鈴木さんの、堂々としていながらも親しげでもある振る舞いと、満足げな表情とが、よく撮れた1枚になりました。