スターン&オーマンディ&フィラデルフィア管によるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を聴いて

スターン&オーマンディ&フィラデルフィア管によるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(1958年録音)を聴いてみました。


ここでのスターンによる演奏は、決然としていて、かつ、精悍なものとなっています。そして、覇気に満ちている。
スターンは、どちらかと言えば知性の優ったヴァイオリニストであると、私は感じています。あからさまな情熱を、あまり表に出さない。端整な音楽づくりというものとはまた少し違うのですが、熱気よりも音楽の凝縮度を第一に据えていたヴァイオリニストだったと思うのです。
そこへいきますと、このチャイコフスキーは、かなり情熱的な演奏ぶりが示されているように思えます。体当たり的な演奏だとも言えそう。この演奏からは、スターンのあからさまな感情の吐露が感じられます。血気盛んな演奏となってもいる。しかも、全体を通じて、切々たる音楽が歌い抜かれている演奏となっている。
総じて、雄渾な演奏となっている。覇気が漲っている。誠にエネルギッシュでもある。そのような中で、時にむせぶような「泣き」を入れる。それは、お涙頂戴的なものではなく、毅然とした「泣き」だと言いたい。そういった表情は、この作品のドラマティックかつロマンティックな性格に、誠に相応しい。
しかも、テクニックが安定しており、巧緻な演奏が繰り広げられている。
更に言えば、音が実に艶やか。スターンには珍しく、と言えば失礼かもしれませんが、甘美な音楽となっています。そのため、感覚的な喜びにも不足がない。そのうえで、スターンならではの、骨太で豊かな音楽が鳴り響いている。
情熱が先行していながらも、知性的もある、実に素晴らしいヴァイオリン独奏であります。

そのようなスターンをサポートしているオーマンディがまた、なんとも見事。
誠に豊麗な演奏が繰り広げられています。頗る艶やかで、煌びやかでもある。それはまさに、ゴージャスな音楽と呼ぶに相応しい。そこには、フィラデルフィア管の技術の高さと色彩感溢れる響きとが、大いに貢献していると言えましょう。
それでいて、決して浮ついたものになっていない。大雑把な音楽にもなっていない。どっしりとした構えが感じられます。風格が豊かで、ニュアンスが細やかでもある。曲想に応じて、ダイナミックに、リリカルに、或いはノスタルジックにと、表情の変化が絶妙。

いやはや、ソロも、指揮も、オーケストラも、途轍もない魅力を放っている、聴き応え十分な、素晴らしい演奏であります。