天龍寺で蓮の花を鑑賞し、祇園祭の山鉾建てを見学した後に、沖澤のどかさん&京都市交響楽団の演奏会(ドビュッシーの≪海≫ 他)を聴いて

今日は、沖澤のどかさん&京都市交響楽団による演奏会の第2日目を聴いてきました。演目は、下記の通り。
●林光 ≪吹きぬける夏風の祭≫
●吉松隆 ファゴット協奏曲≪一角獣回路≫(独奏:ソフィー・デルヴォー)
●ラヴェル ≪鏡≫より「海原の小舟」と「道化師の朝の歌」
●ドビュッシー ≪海≫

ところで、7月の中旬となり、蓮の季節になりました。そこで、午前中のうちに、天龍寺へ蓮の鑑賞に行ってきました。
天龍寺は、我が家から自転車で10分弱。最も手軽に蓮を楽しめるスポットであり、この時期になると蓮池を訪れるのが恒例となっています。
見頃を迎えている、と言っても良いのではないでしょうか。綺麗に咲いていました。
蓮を眺めていますと、なんとも清浄な気持ちにさせられます。

また、京都コンサートホールへ行く途中、祇園祭の山鉾建てを見学してきました。
7月9日に長刀鉾を皮切りに、前祭の山鉾建てが始まっています。宵々々山となる7月14日の前日までに、曳き初めや舁き初めも含めて、完了することに。
13時過ぎに菊水鉾を訪れてみますと、まさにクレーンで鉾を立ち上げようとしていたところ。貴重な場面を見学することができました。
これから7月末まで、京都の街は祇園祭で賑わってゆくことになります。

さて、今月の京響の定期演奏会は、邦人作品2曲を前半に配し、後半はラヴェルとドビュッシーを披露するという、凝った構成のプログラムとなっています。そこからは、沖澤さんの好奇心のようなものや、様々な音楽作品を聴衆に届けたいという意欲や、といったものが感じられる。なお、邦人の2作品は、1980年代に京都市が委嘱して書かれたもので、両曲とも京響が初演しているそうです。
沖澤さんは、近現代の作曲家による作品で、巧みな演奏を繰り広げてくれることが多いように感じております。それは、明快なバトンさばきによってキッチリカッチリと奏で上げていくことを基調としながら、力感を持った演奏を展開してゆくが故のことだと考えております。そんな沖澤さんにとって、本日のプログラムは、自らの音楽性を存分に指し示すことのできるものだと言えるのではないでしょうか。きっと、魅惑的な演奏会になることだろうと、期待を抱きながら会場に向かったものでした。
また、ファゴット独奏を務めるデルヴォーは、2015年にウィーン・フィルの首席に就いた女性奏者ということで、こちらも期待大。ウィーン・フィルの首席ファゴット奏者が吹く邦人作品が、一体どのように鳴り響くことになるだろうかという点でも、興味津々でありました。

それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて、書いてゆくことに致します。

まずは前半の2曲について。
両曲を通じて、沖澤さんによる演奏ぶりは、目鼻立ちのクッキリとした明晰なものでありました。更には、鋭敏な演奏を繰り広げていたとも言いたい。それはまさに、沖澤さんの美質が前面に押し出されたものでもあるのですが。
とりわけ、冒頭で披露された林作品での、祭の賑やかさや、その裏で吹く風の爽やかさ(ただ単に爽やかだった訳でなく、精妙でもあった)といったところの描き上げが見事でした。その一方で、ゆったりとした箇所での風情タップリな演奏ぶりも際立っていて、その結果として示される対比が鮮やかで、グッと惹かれるものがあった。
そういった点で、奥行きのある演奏でもありました。
なお、≪吹きぬける夏風の祭≫は、私が本日の演奏会の前に見学してきた祇園祭を題材に採った作品。現代音楽に付きまとう難解なイメージからは遠い、解りやすくて親しみの湧く音楽となっていました。
そんな沖澤さんによる音楽づくりの魅力もさることながら、前半の聞きものは、何と言いましてもデルヴォーによるファゴット独奏でありました。それはもう、唖然とするほどに素晴らしかった。
デルヴォーによるファゴットは、敏捷性の高いパッセージを軽々と吹きこなす様や、高音から低音までムラなく発音させる点や、朗々と歌い上げる様や、ファゴット特有のちょっと剽軽な表情を見せる様子など、何から何までが見事でありました。そのような中でも、最も惹かれたのは、柔らかな響きによって、抒情性豊かに音楽を奏で上げていったこと。そのことによって、音楽が夢見るような美しさを湛えることになっていた。この点については、日頃はウィーン・フィルのメンバーとして活動していることが大いに頷けるものでもあった。
本日のデルヴォーによる演奏は、作品がどうだった、ということを超越して、ファゴットという楽器の魅力を存分に示してくれていた。そんなふうに言いたい。
ソリストアンコールは、モーリス・アラールによる≪パガニーニの主題による変奏曲≫。パガニーニが無伴奏ヴァイオリンのために作曲した≪24のカプリース≫の最終曲であり、かつ、ラフマニノフがピアノと管弦楽のための狂詩曲として作曲した主題に基づいた変奏曲でありました。無伴奏によるファゴット・ソロの作品。
アラール(1923-2004)は、マルケヴィチ&ラムルー菅とモーツァルトのファゴット協奏曲を録音している、フランスのファゴット奏者。
その演奏はと言いますと、テクニックの鮮やかさや、語り口の巧みさや、表現の柔軟性や、といったものが見事に表されていた、素晴らしいアンコールでありました。
しかも、途方に暮れてしまうような高音が使われることもしばしば。そこでは、さすがのデルヴォーをしても、美感に欠けるものとなっていたのが、玉に瑕でもあったのですが。

ここからは後半について。後半も好演でありました。とりわけ≪海≫での演奏に強く惹かれた。
最初の≪海原の小舟≫は、あまり起伏のある作品ではありません。そのような音楽においても、沖澤さんは豊かな息遣いの宿っている演奏を繰り広げてくれていました。起伏に乏しい穏やかな音楽であっても、曲想に応じて音楽をタップリと膨らませていた。そのことによって、音楽が光彩を放つこととなっていた。
沖澤の確かな手腕を感じ取ることのできた演奏でありました。
続く≪道化師の朝の歌≫とのインターバルにおいて、聴衆から拍手を求めるようなことはしませんでした。それは、単独の作品と捉えておらずに、あくまでも≪鏡≫に組み込まれている2曲として披露しよう、という意図からに他ならない。
その≪道化師の朝の歌≫は、打って変わってリズミカルにして活気に満ちた作品であります。スペイン情緒タップリな音楽でもある。そのような作品を、キッチリカッチリと描き上げながら、活力豊かに鳴らしてゆく沖澤さん。その点は、大いに結構でありました。
しかしながら、中間部で、テンポが頻繁に切り替わりながら、アンニュイな風情を漂わせてゆく場面では、今一つ色気のようなものに不足していたように思えた。そう、音楽があまり妖しいものになっていなかったのであります。或いは、テンポの変化が、ツギハギによる音楽といった印象を与えてしまっていた。もっと言えば、音楽の流れがスムーズだとは言い切れなかった。その点が残念でありました。
とは言いましても、また急速な流れによる活気に溢れた曲想が戻ってきて、最後に音楽が昂揚する様は、ビシッと決まっていて、シッカリと曲を締めてくれていました。
こからは≪海≫について。
こちらでは、音楽を包み込んでいる空気が変転する様が、巧みに描き上げられていました。その描写は、紛れもなく、この作品における要点だと思われます。それだけに、この作品のツボを押さえた演奏になっていたと言いたい。
しかも、曲想に合わせて、演奏は自在に伸縮していた。その息遣いたるや、惚れ惚れするほどの巧みさでありました。
更には、音楽が存分に躍動していた。輝かしくもあった。クライマックスに向けての昂揚感も見事だった。そして、全編を通じて、色彩感に富んでもいた。
そのような沖澤さんに応える京響の献身ぶりや、演奏の充実度も、頗る高かった。
沖澤さん&京響のコンビの蜜月ぶりがクッキリと現れていた、聴き応え十分で、素敵な≪海≫でありました。

デルヴォーの卓越したファゴット演奏を筆頭に、充実した音楽を多角的に楽しむことのできた、素敵な演奏会でありました。