バレンボイム&クレンペラー&ニュー・フィルハーモニア管によるベートーヴェンの≪皇帝≫を聴いて
バレンボイム&クレンペラー&ニュー・フィルハーモニア管によるベートーヴェンの≪皇帝≫(1967,68年録音)を聴いてみました。
この組合せによって完成されたベートーヴェンのピアノ協奏曲全集(≪合唱幻想曲≫も含む)の中の1枚になります。
なんと巨大な音楽なのでありましょう。威容を誇る音楽だとも言えそう。
私が、このような感覚を抱く、その主な要因は(その割合は、9割以上を占めているように思える)、クレンペラーにあります。ここでのクレンペラーの音楽づくりの、なんと巨大なこと。勇壮という言葉も私の頭をかすめますが、勇壮という言葉はあまり相応しくないように思えます。やはり、「巨大」という言葉が、私には最もしっくりくる。
悠然としたテンポで音楽は進められています(手持ちのLPの表記では、第1楽章の演奏時間は22’50”、第2,3楽章が20’02”)。ただテンポが遅いだけではなく、音楽の歩みは、一歩一歩踏みしめるようなものとなっている。一音一音を噛みしめるような音楽づくりが為されているとも言えましょう。
そのうえで、オケから奏で上げられる音は、コントラバスを中心とした低音群に重きを置かれたものとなっていて、ズシリと腹に響くものとなっている。そこから生まれる安定感と重厚感は、比類なきものだと言うしかありません。
しかも、ただ単に、音に厚みがあるだけではない。オケ全体が、宏壮な音楽世界を築き上げるべく、拡がり感を持って鳴り響いています。基本的には、ゴツゴツとした肌触りで、流麗さとは最も懸け離れたところで音楽が作られているような演奏ぶりとなっているだけに、古武士のような武骨さや厳つさを持った音楽が鳴り響いている。その一方で、第2楽章では、祈りにも似た敬虔な音楽世界が築き上げられている。
なかなか文章にするのが難しいのですが、そのような音楽を、ここでのクレンペラーは築き上げています。その様がまた、≪皇帝≫の音楽世界には誠に似つかわしい。と言うよりも、≪皇帝≫という作品に対して私が想像することのできる以上の巨大な音楽世界を、ここで示してくれている。そんなふうに言うしかありません。
そのようなクレンペラーにひるむことなく、バレンボイムも充分に互角に渡り合っていると言いたい。クレンペラーに必死になって食らいついていっているというのが、ひょっとするとバレンボイムの本音なのかもしれませんが、その演奏ぶりには余裕が感じられます。クレンペラーの音楽づくりをシッカリと受け止めて、自分の中で消化し、そこに自分の音楽をぶつけている。そのようなピアノ独奏だとも言えるように思えます。つまり、クレンペラーの音楽にバレンボイムは完全に同化して、音楽を奏で上げている。
ちなみに、このときバレンボイムは20代の半ば。クレンペラーに引っ張られているというのは間違いないでしょうが、実に風格豊かなピアノ演奏を繰り広げてくれています。しかも、デリカシーに富んだ演奏ぶりとなっていて、感受性の豊かさが感じられもする。改めて、若き日のバレンボイムの、ピアニストとしての才能の豊かさに驚かされます。
(ちなみに、同時期に録音された、バルビローリと共演してのブラームスの2曲のピアノ協奏曲においても、似たようなことの言えるピアノ演奏を繰り広げてくれています。)
それにしましても、この≪皇帝≫、規格外の素晴らしさを持った演奏であります。