尾高忠明さん&大阪フィルによるラフマニノフ・ツィクルスの第3夜(ピアノ協奏曲第2番と交響曲第3番)を聴いて

今日は、尾高忠明さん&大阪フィルによるラフマニノフ・ツィクルスの第3夜を聴いてきました。
演目は下記の2曲。
●ピアノ協奏曲第2番(独奏:グローヴナー)
●交響曲第3番
このツィクルスは、今年の6月から11月までの間に催され、4つの演奏会で構成されています。そのうち、私は、第2夜に足を運んでおり、本日は2つ目の鑑賞ということになります。
第2夜で演奏されたピアノ協奏曲第4番と交響曲第2番では、ダイナミックにして雄弁な音楽を奏で上げてくれていた尾高さん&大阪フィル。音楽が随所でうねっていて、甘美であり、扇情的でもあった。それ故に、頗る情感の豊かな音楽が奏で上げられていった。その様は、まさにラフマニノフにピッタリ。それでいて、大袈裟な表現は皆無。ラフマニノフが楽譜に記した音符や指示を、忠実に再現してゆけば、あとは作品自身が魅力を明らかにしてくれるのだ。そのような意志の貫かれている演奏だと思えてならなかった。
尾高さんとラフマニノフ、かなり相性が良さそう。それだけに、本日の演奏もきっと素晴らしいものになるであろうと、大きな期待を寄せていたものでした。
なお、ピアノ協奏曲の独奏を務めるグローヴナーは、イギリス生まれのピアニスト。1992年生まれとのことですので、30代半ばを迎えていることになります。私にとっては、名前を聞くのも初めてのピアニスト。そんな未知のピアニストがどのような演奏を繰り広げてくれるのか、こちらも楽しみでありました。
ちなみに、このツィクルス、4つの演奏会すべてに対して、協奏曲的作品を置いています(第1夜は≪パガニーニ狂詩曲≫が採り上げられました)。その4作に、それぞれ異なるピアニストが起用されている。様々なピアニストに接することができるのも、このツィクルスの愉しみの一つだと言えましょう。
それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて、書いてゆくことに致します。

まずは、前半のピアノ協奏曲について。
何はさておき、尾高さんが素晴らしかった。勇壮にして、雄弁な音楽づくりが為されていました。
出だしのオーケストラでの、低弦を効かせながらの、重厚感タップリな演奏ぶりの、なんと堂々たるものだったことでしょう。しかも、情念的であり、哀感タップリでもあり、メラメラとした炎が立ち込めるようでもあった。そのような性格を備えながら、充実感に満ちた音楽が鳴り響いており、その演奏ぶりは全曲にわたって続いていったのであります。
そして、息遣いの何と豊かだったことでしょう。絶妙にテンポを収縮させながら、ロマンティシズムに溢れた、かつ、激情的でもある音楽を奏で上げてゆく。しかも、全く誇張のない形で。
そう、尾高さんならではの、誠実な演奏が繰り広げられていったのであります。作品の実像を、そのまま表してゆこう、といった演奏ぶりだったと言いたい。そのうえで、情感タップリであり、生命力に溢れていた。
そんな尾高さんに抱かれながら、グローヴナーもまた、実にケレン味のない演奏を展開していったのでした。
剛毅なところの殆どない、柔らかみを前面に押し出したピアノ演奏が展開されていった。そのようなこともあって、大向うを唸らせたり、オケとピアノが対決をしたり、といったことは皆無。尾高さんが作り上げてゆく音楽世界の中にドップリと身を浸しながら、自然体で弾いていった。そのような演奏ぶりでありました。
ラフマニノフの協奏曲での演奏としては、かなり珍しい方向性を示していたピアノ独奏だったと言えるかもしれません。しかしながら、尾高さんの指揮があまりに見事であっただけに、全く不満を覚えるようなことはありませんでした。ピアノが、オーケストラパートの一つのようにして繰り広げられていった演奏だった。そんなふうにも思えたものでした。
なお、ソリストアンコールは、R・シュトラウスの≪明日!≫という作品でありました。原曲は歌曲で、それをレーガーがピアノ独奏用に編曲したものが披露された。
その演奏はと言えば、ラフマニノフの協奏曲での演奏と同様に、柔らかみを前面に押し出したものとなっていて、優しさに満ちていて、安寧な世界の広がる演奏でありました。この作品の性格にも依るのでしょうが、音楽をがなり立てようとするところが微塵もなく、ジックリと聴き手に語りかけてゆく、といった演奏ぶりだった。
この辺りは、グローヴナーの音楽における志向なのだと見て、間違いないのではないでしょうか。

ここからは、メインの交響曲についてとなりますが、予想通りと言いましょうか、端正にして生気に溢れた演奏でありました。
音楽が存分にうねっていた。アゴーギクの変化も自在に、絶妙に、そして自然に行われていて、そのことによって音楽の息遣いが豊かなものとなっていた。この点は、ラフマニノフの演奏における、要点の一つだと言えましょう。尾高さんによって紡ぎ上げられていった演奏は、まさにラフマニノフに相応しいものだったと言いたい。
しかも、その音楽づくりは自信に漲っていた。この作品のツボをシッカリとわきまえておられているからなのでありましょう。
そのうえで、ダイナミックな演奏が展開されていった。この作品に相応しい形で。
更には、ロマンティシズムに溢れてもいた。とは言いながらも、決して安易なセンチメンタリズムに陥るようなことはない。何と言いましょうか、毅然としたロマンティシズムが漂っていたのであります。
そのような尾高さんの音楽づくりに対して、大阪フィルは献身的に応えていった。反応が機敏でもあった。ラフマニノフのツィクルスも、今夜が3つ目のプログラム。尾高さんがラフマニノフに求める方向性や呼吸が如何なるものなのか、そして、そこへのアプローチが如何なるものなのかを、団員が熟知してきた結果なのでもありましょう。ツィクルスをやるメリットは、この辺りにもあるように思われます。
また、弦楽器群の、とりわけヴァイオリン群の艷やかな響きは、惚れ惚れしてしまうほどに美しかった。更には、ヴィオラが雄弁だったことによって、演奏に重層的な充実感が生まれていたことにも感心させられたものでした。そして、木管楽器群の、飛翔感があり、かつ、煌びやかでもあった演奏ぶりが、花を添えてくれてもいた。
かように、この作品の魅力を堪能することのできた演奏でありました。秀演だったと言いたい。
ただ、惜しむらくは、生真面目に過ぎたようにも思えたものでした。この作品では、もっと羽目を外したところがあっても良いのではないだろうか。そんなふうにも思えたのでした。






