藤岡幸夫さん&関西フィルによる演奏会(マーラーの交響曲第4番 他)を聴いて

今日は、藤岡幸夫さん&関西フィルによる演奏会を聴いてきました。演目は、下記の3曲。
●ワーグナー ≪ジークフリート牧歌≫
●ベルント・アロイス・ツインマーマン
トランペット協奏曲≪誰も知らない私の悩み≫(独奏:児玉隼人さん)
●マーラー 交響曲第4番(ソプラノ独唱:安川みくさん)
藤岡さんによるマーラーを聴くのは、初めてになります。規模の大きな作品を纏め上げる手腕に優れた指揮者、といった印象があるだけに、本日のマーラー、聴き応えのある演奏になるのではないだろうかと期待を抱いていました。
なお、≪ジークフリート牧歌≫をブルックナーではなくてマーラーと組み合わせた、というところに、ちょっとした斬新さのようなものが感じられるプログラミングとなっています。
その2曲だけでも、1つの演奏会としてのボリュームは満たされていると言えそうなのですが、そこにもう1曲、ツィンマーマン(1918-1970)のトランペット協奏曲が中プロとして加えられている。この作曲家の名前は時折聞きますが、その作品を実演で接するのは初めてのこと。また、独奏者については、名前も全く知らない中での鑑賞になります。
そのような構成による本日の演奏会。はたして、どのような音楽が鳴り響くこととなるのだろうかと、とても楽しみでありました。
それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて、書いてゆくことに致します。

まずは前プロの≪ジークフリート牧歌≫についてになりますが、この作品ならではの「朝の音楽」といった清々しさに、今一つ乏しかったように思えました。慈しみに溢れた音楽だな、というふうに感じることもできなかった。
なるほど、藤岡さんは、アゴーギクの変化を頻繁に付けながら、情念深く演奏していき、その点では見事であり、聴き応えがありました。また、中間部で音楽が盛り上がっていく様も、音楽がシッカリとうねっていて、かつ、存分に煽っていて、劇的でもあった。
それにも拘らず、不思議と音楽の流れが平板だった。それは、藤岡さんの演奏が、弦楽器を主体とした音楽づくりとなっていて、管楽器の活用がおざなりに思えた、といった傾向が強く感じられたことに起因していたように思えたものでした。そのために、音楽の目鼻立ちが、クッキリとしたものになっていかない。とりわけ、しばしばホルンによって鳴らされる3連符(それはあたかも、鼓動のようであります)に全く興味を示さないように指揮をしてゆくことが、私には不思議でなりませんでした。
また、スコアにかじりついて指揮をしていることが多かったのも、気になったものでした。オケに対する表情付けがぞんざいになっていたように思えたのも、そのことに依るのだろうか。そんなふうにも思えたものでした。更には、そんなにも、このよく知られた作品は藤岡さんに身体に染み着いていないのだろうか、といった疑問も湧いたものでした。
そのようなことも影響して、冒頭で述べたような、清々しさに乏しく、慈しみに不足した音楽が鳴り響くこととなったのではないでしょうか。
外面的には感心させられる場面がありつつも、概して、楽譜をなぞってゆくような演奏だった。そして、この作品の魅力をタップリと味わうに至ることのない演奏だった。そんなふうに言いたい。
続くトランペット協奏曲では、まずもって児玉さんによる卓越した独奏に、いたく感心させられたものでした。
児玉さんは、2009年生まれで、この4月に高校2年生になったばかりとのこと。そのような若さに似合わずと言いましょうか、テクニックは確かで、しかも、音の柔らかさに惚れ惚れしたものでした。
ミュート付きのトランペット独奏によって始まり、ミュート付きのトランペット独奏で閉じられ、その途中にはジャジーな要素が添えられる、といったアーチ状の構造をした作品となっていました。その前半と後半の多くの箇所では、不安に満ちた音楽が鳴り響いていた。そして、中間部では一種の錯乱した音楽が鳴り響くこととなっていた。
そのような作品を児玉さんは、浮ついたところのない形で、的確に奏で上げていく。柔軟性の高い演奏ぶりでありつつ、堂々としてもいた。そんな演奏に、聴き入ったものでした。
児玉さん、逸材だと言えましょう。
そのような児玉さんを、シッカリとサポートしてゆく藤岡さん。総じて、活力に富んだ演奏ぶりだったとも言えそう。
なお、ソリストアンコールはありませんでした。
さて、ここからはメインのマーラーについてとなります。
その印象は、≪ジークフリート牧歌≫での演奏と似たようなものでありました。すなわち、アゴーギクの変化を激しく施し、抑揚の付いた音楽づくりが為されていながらも、鳴り響いている音楽は平板なものとなっていた。それは、一つの旋律を奏でてゆく中で、タップリと歌わせたり、音楽を膨らませたり、色彩の微妙な変化を与えたり、といったものの乏しい演奏になっていたから。それ故に、音楽が豊かに息づいてゆく、といった形にならない。
それ故に、あまり陶酔感の強いマーラー演奏だったとは言い切れなかった。それは、息遣いの豊かさに乏しく、かつ、音楽が存分にうねってゆく、といったものになっていなかったからに他ならないでしょう。
更には、冒頭でのリタルダンドを掛ける度合いが思い付きで為されていたといった感じで、なおかつ、指揮棒の動きが必ずしも明瞭だったと言えず、続いて入ってくるヴァイオリンの旋律と管楽器群にズレが生じていた。しかも、そのズレを意に介せず藤岡さんは指揮を進めていて、ズレを解消させようといった意志を示していなかったように見受けられた。藤岡さん、オケを聴きながら指揮をしているのだろうか。そんな疑問さえ浮かんできたものでした。
ちなみに、出だしの数小節間のテンポは、かなり速めに採っていました。特別に颯爽と開始させよう、といった意図があったのかもしれません。しかしながら、そのテンポによって、音楽が適正に地を踏みしめながら進んでいる、といったものからは懸け離れたものだったようにも思われた。それ故に、その直後の急激なリタルダンドに、オケのメンバーの意思統一が図れなかったのではないだろうか。そんなふうにも推察されました。
なるほど、演奏には即興的な表現が為されることはしばしばで、そのことによって演奏に生彩が与えられることとなることが多いと思えます。藤岡さんも、その辺りのことを大事にしている指揮者なのかもしれません。とは言うものの、オケを的確に統制しながら即興を加えてゆくことが肝要だと看做せましょう。或いは、その即興に妥当性があり、同じく音楽家であるオケのメンバーが、その妥当性を汲み取った上で指揮に付いてゆく、といったことが望まれましょう。そこへゆくと、この冒頭でのテンポ設定とリタルダンドは、その範疇から外れたものだったと思えたのでありました。
これは一例に過ぎず、似たようなことがところどころで(そう、決して頻繁に、ではないのですが)起きていたように思われました。
そのような中でも、第2楽章での演奏は、比較的、音楽がうねっていたように思われました。藤岡さんはプレトークで、第2楽章でのコンマスソロを「悪魔の音楽」と形容しながら、この楽章の音楽の性格を強調されていました。藤岡さんにとって思い入れの大きな楽章なのでしょうし、そのことの現れだったのかもしれません。
それに引き換え、長大な第3楽章での演奏は、曲の長さを持ちこたえ切れずに、ダラダラと進められていた、といった印象を持ったものでした。本来、陶酔感という点では、この楽章が最も高いと言えるのでしょうが、この楽章に酔いしれる、といったものから遠い演奏となってしまっていた。
なお、ソプラノ独唱の安川さんは、ヴィブラートを抑えながらの歌唱で、清潔感の高い歌いぶりでありました。無垢な歌でもあった。但し、声量が豊かでないと言うべきなのか、声の通りがあまり良くなかったのが残念でありました。
ちなみに、最終楽章で藤岡さんが採ったテンポはかなり遅め。声の通りが今一つだったのは、そのテンポの影響もあったのかも(安川さん本人が、歌を支えるのに苦労されたのかも)しれない、などとも思われました。と言いつつも、テンポの影響ではないのかもしれませんが。
全体的に、不満の多いマーラーであり、演奏が鳴り止むと、すぐに席を立ったものでした。





