沖澤のどかさん&京都市交響楽団によるプロコフィエフの交響曲全曲演奏ツィクルスの第1回目を聴いて

今日は、沖澤のどかさん&京都市交響楽団によるプロコフィエフの交響曲全曲演奏ツィクルスの第1回目を聴いてきました。
演奏されたのは、下記の3曲。
交響曲第1番≪古典≫
交響曲第2番
~休憩~
交響曲第3番

1956年4月に設立された京響は、今年、70周年を迎えています。このことを記念する演奏会やイベントが数多く組まれていますが、その中でも特に注目を集めているのが、このプロコフィエフのツィクルスでありましょう。プロコフィエフのツィクルスを組むこと自体、とても珍しいことだと言えそうで、その実演に体系的に触れることができるのは貴重な機会となります。
トータル3回の演奏会が組まれており、プロコフィエフが生み出した7曲の交響曲を演奏しようという、この企画。第1番から第3番の3曲が第1回目に、第4番と第5番が第2回目(7/18の開催予定)に、そして最終回(11/28の開催予定)には第6番と第7番が演奏され、番号順に採り上げられてゆくという内容となっています。
本日は、その開幕となるコンサート。演奏会で滅多に採り上げられることのない第2番と第3番を実演で聴けるのは、とても貴重なことだと言えましょう。

沖澤さんは、近現代の作曲家による作品で、好結果を示すことが多いように思われます。近現代の作品において、おしなべて、明快なバトンさばきによってキッチリカッチリと奏で上げながら、テキパキと、そして、鮮やかに、作品像を描き上げてゆく沖澤さん。これまでに接してきた実演経験から連想するに、プロコフィエフの交響曲においても、きっと魅惑的な演奏を繰り広げてくれるのではないだろうか。そんな期待を抱き、胸を躍らせながら会場に向かったものでした。

それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて、書いてゆくことに致します。

まずは前半の2曲から。
冒頭の≪古典≫は、予想に反した演奏ぶりとなっていました。そして、期待外れな演奏となっていた。
沖澤さんならではのテキパキとした音楽運びが鳴りを潜めていた。出だしなどは、なんだかモゾモゾと開始された、といった感じ。そのうえで、運動性を重視するのではなく、横の流れを大事にしながら、音楽を歌わせることに重点を置いていた。滑らかにして、流暢な演奏を志向していた、とも言えそう。そのことは特に、第1楽章での演奏において顕著でありました。
その一方で、第2楽章では、かなり儚げに奏で上げていた。但し、それが精妙な音楽として鳴り響くというよりも、芯の通っていないひ弱な音楽になっていた、といった感じ。
また、第3楽章では、足を引き摺るような歩みを頻繁に見せながら、意識的にいびつな音楽を奏でていた。そのことによって諧謔味を出してゆこう、といった意図があったのでしょうが、わざとらしさの匂う演奏ぶりとなっていて、ピシッと嵌っていない。また、トリオ部から主部に戻る箇所では、かなり強めにルバートを掛けていて、とりわけ、いびつな音楽になっていた。
最終楽章は、前の3つの楽章と比べると常套的な音楽づくりでありました。敏捷性を強調しよう、といった意図が読み取れた。また、オケのアンサンブルの妙技を前面に押し出そう、といった演奏ぶりにもなっていた。しかしながら、充分に精緻だったとは言い切れず、音楽を丹念に奏で上げるというよりは、少々勢いに任せた演奏ぶりになっていたように感じられたものでした。
≪古典≫での演奏を通じて感じられたこと、それは、猫をかぶった沖澤さんの姿を見せられた、ということ。或いは、手練手管を尽くしてゆく、といった印象も持ったものでした。その演奏ぶりは、「私、こんなふうにもできますのよ」とでも言いたげであった。とは言うものの、私にはそれらが不発に終わっていた、と思わざるを得ませんでした。
暗雲が立ち込めるようにしてツィクルスがスタートした、といった感じでありましたが、続く第2番では、普段の沖澤さんと変わらない、テキパキとした音楽づくりによる鮮やかな演奏が繰り広げられていきました。そのことに、大いに安堵した私。
2つの楽章から成る、この交響曲でありますが、沖澤さんは、第1楽章では、終始、音を叩きつけるようにして、ダイナミックに、かつ、強靭に音楽を響かせていく。その様が、この楽章の世界にピッタリでありました。とても苛烈な音楽が鳴り響いていた。しかも、頗る手際よく音楽が進められてゆく。基本的には直線的でありつつも、曲想に応じて、しなやかさを帯びた音楽づくりになってもいた。
また、変奏曲の形式が採られている第2楽章では、もっと複雑な音楽づくりが為されてゆく。第4変奏辺りになりましょうか、音がたゆたうような音楽となっている箇所では、まさにトランクィーロな音楽が鳴り響いていました。また、終わり近くでの強奏では、全身全霊を注ぎ込むようにして、壮絶な音が奏で上げられていた。その様には、身の毛がよだつような「恐ろしさ」が感じられたものでした。いや、畏怖すべき音が鳴り響いていた、と言ったほうが適切かもしれません。
第2番では、猫をかぶった沖澤さんの姿を、一切見るようなことはなかった。いやはや、見事な第2番でありました。

後半で演奏された第3番も、第2番での演奏ぶりを踏襲する鮮烈なものとなっていました。とてもエネルギッシュであり、かつ、随所で彫りの深い演奏が展開されていた。そう、それぞれの素材がクッキリと描かれていった。そして、必要に応じて、旋律を息遣い豊かに歌い上げていった。
しかも、沖澤さんならではの、折り目正しさが感じられた。そのうえで、音楽を鮮やかに響かせていたのであります。更には、例えば第3楽章で効果的に使われているスル・ポンティチェロでの奏法なども、機敏で、かつ、魔術的な音楽世界を描き上げることに資するものとなっていた。この辺りの嗅覚の鋭さ、といったものもまた、沖澤さんの美質の一つであると言いたい。
そんなこんなによって、プロコフィエフが創造した鮮烈で、諧謔性に満ちていて、しかも、抒情性の豊かな音楽を、的確に奏で上げてゆく演奏になっていたのであります。ある種の「凶暴性」といったものも、誇張され過ぎない形で表出されていた。
プロコフィエフの音楽世界をジックリと味わうことのできた演奏。しかも、とても見通しの良い形で。そんな、素敵な第3番でありました。

本日の演奏会の全体を俯瞰して考えるに、≪古典≫での演奏は、この作品の特異性を強調しよう、といった意図があったのかもしれません。すなわち、第2番と第3番の2つの作品が備えている凶暴性や、強靭な音響や、苛烈な音楽世界や、といったものから一線を画した性格を提示しよう、といった思いが込められていたのではないだろうか。そんなふうに思えてきたのであります。
≪古典≫だけを採り上げたならば、本日の演奏ぶりとはまた違ったスタイルで演奏してゆくのではないだろうか。そんなふうにも想像したものでした。
第4番と第5番を演奏する第2回目は、2ヶ月半ほど先のこと。はたして、どのような演奏を繰り広げてくれることでしょうか。今から楽しみであります。